モンペ文句の電話は晩酌の時間だった…。
中学校教師30年の経験から事例を紹介します。仕事熱心な教師の、心の整理の一助になればと…。ここに徐々に掲載していきます。ご自身の悩みに似た事例があれば、参考にしていただければ幸いです(・。・;。
兄はゆくゆく、父の元を離れました
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せっかく声掛けがあった選手強化事業なのに、顧問の説得も実らず不参加になってしまいました。
タカシ兄は、もうひとりの候補者が保護者の了承、応援を得て選手強化事業に参加するのを、うつろな表情で見送っていました…。
このタカシ兄は、地元の高校にいったん進学したあと、他県にいる親戚の後押しを得て転校しました。
以降は、父親の元を離れ、その親戚の援助で高校、専門学校と進んだそうです。
晩酌中のモンペ
私とタカシ父親との関りに、話を戻します。
当時、私自身も血気盛んなところがあり、「ああ言えばこう言う」といった感じのタカシ父親の主張に対し、論点の不備をついて、反撃していました。
ただ、学校に文句の電話が来るのは、たいてい夜7時頃。
地域の方からの情報からすると、連日、晩酌しているそう。
私自身、酒に酔った人を相手に議論してもムダだという認識がなかったので、考えを改めるべきと思いました。
翌日へ持ち越し
以降、文句電話の対応を、翌日の明るい時間帯に持ち越すことにしました。
日中、「昨夜の件ですが」と、こちらから電話するのですが、「くどさ」はありません。
主張の主訴はあまり変わりませんが、こちらの説明に対する反論はさほど。
それどころか、「お世話になっています」の言葉もあり、驚きました。
父親の要望を一部受け入れ、こちらのお願いも聞いてもらう、そういうやりとりができるようになりました。
夜の水掛け論は、なくなりましたが…
この時間差対応により、それまで悩みのタネだった夜の水掛け論はなくなり、一応の収束を見た気がします。
「一方的に文句をつけられる」ということはなくなったに等しい。
ただ、その後の父親との関りで、別の意味で疑問に思うことが、多々、積み重なっていったのです。
丁寧な言葉を発し、表面上は穏やかなのに、
むしろ大きく深い問題が、暗い穴のように奥に続いていたのです。
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上記内容は仮名であり、内容を一部改変しています。