中学校教師30年の経験から事例を紹介します。仕事熱心な教師の、心の整理の一助になればと…。ここに徐々に掲載していきます。ご自身の悩みに似た事例があれば、参考にしていただければ幸いです(・。・;。
学年イチの問題生徒に根気強く関り続けたY先生
学年イチの問題生徒
ここまでのながれ → https://kokoronoseiribako.com/monpenasi4-2-1/
Y先生の学級生徒には、学年イチの問題生徒がいました。
家庭環境も不安定、校内外の問題行動ではよく名前があがり、リーダー格でした。Мくんです。
私などは、すっかりナメられていました。この生徒をどう指導するかというより、正直、どうすればナメられないかが問題でした。
的確な事情聴取
次々と起こしていた問題行動について、Y先生の事情聴取は的確に行われていました。
当時の私にしてみれば、Мくんが正直に事情を話すだとか、反省の態度を見せるなどというのは想像もできませんでしたが。
手を焼かされた生徒
ですが、Y先生といえども、カミサマではありません。
Мくんを根本的に生まれ変わらせるには至りません。
管理職らから、耳の痛い指摘を受けることもあったようです。
我が子が悪事を働いたとき、世間に向けて「子をかばう発言」をするか「子の至らなさを明言」するかは対応が分かれます。
Y先生は、後者でした。例えてみれば、母親的というよりは、父親的でした。(はたから見れば)
Мくんの作文
あるとき、Y先生の机上の書類立てに作文用紙が挟まっているのに気づきました。
ちょうど目に留まったので、何かと尋ねるとМくんの作文だというのです。
読ませてもらうと、それは、母親に向けた内容でした。苦労して育ててくれた母への温かい気持ちが綴られていました。
くたくたになった作文用紙
私に対しては、常に尊大な態度のМくんでしたが、そこに綴られていたものは別人でした。
その作文用紙は、くたくたになっていて、何度も取り出されて読まれたと思われました。
この件は、ずっと印象に残っていました。Y先生は折に触れあの作文を読み、次々と問題を起こすМくんへ寄り添う気持ちを補充?していたのではないか?と、後に思いました。
問題生徒からも慕われていたY先生
Мくんは、たしか、Y先生のことを「あねさん」と呼んでいました。
ナメられっぱなしだった私には想像できない、Y先生とМくんとの、信頼に結ばれた関りがあったのだろうと思われます。
МくんとY先生の心の交流には、他に測りきれない深さがありました。
モンペ化4②「Y先生の思い出」 その6/7へ → https://kokoronoseiribako.com/monpenasi4-2-6/
上記内容は仮名であり、内容を一部改変しています。