大関フジ大関フジ

中学校教師30年の経験から事例を紹介します。仕事熱心な教師の、心の整理の一助になればと…。ここに徐々に掲載していきます。ご自身の悩みに似た事例があれば、参考にしていただければ幸いです(・。・;。

並外れた洞察力と実行力のY先生

嫁は勝手口から出入りしろ令

ここまでのながれ → https://kokoronoseiribako.com/monpenasi4-2-1/

Y先生の思いのたけを反映した家。

誰にも文句を言われず、どの部屋からも外出するための廊下。

そして、「嫁は勝手口から出入りしろ令」を順守できつつも、立派過ぎる勝手口づくり。

たしかに、玄関からすぐ廊下が始まって、奥に長く続いていました。

そして、平面的でシンプルな正面玄関に比べて、後で見せてもらった勝手口には驚きました。

「飾りひさし」がついていて、それも、神社仏閣を思わせる彫刻つき。

それを見上げて、口があんぐりと開いてしまいました。

教師退職後はスケッチ旅行

もうそのお姑さん夫婦も他界していて、旦那様もご病気で他界、子供らも独り立ちして、まもなくその家も引き払うというとき、訪問したと記憶しています。


同僚として過ごせた時期は、1年程度で終わり、以降は年賀状等の関りのみとなりました。

教師退職後は、スケッチ旅行に出かけ、今もあの快活なままで、山を海を街を闊歩しているのではと想像しています。

この目でこの世の中を見たくない

「もう、この目でこの世の中を見たくない。」

Y先生が言った言葉です。

Y先生が描く絵の中に、炎や鬼の面がありました。

住み慣れた居を去るまでのY先生の人生のほとんどを、私は知りません。

その半世紀ほどの期間、生い立ち、学生時代、結婚、家族対応、教職と生き抜く間に何があったかはわかりません。

ただ、苦労が推察される逸話も耳にしました。

並外れた洞察力と実行力を持つY先生です。

他の人だったら気づかないことにも気づき、「見て認識して、努力して、がっかりする」という積み重ねが、あの言葉につながったのかと思えてしまいます。

カラカラと笑っていたY先生

でも、(それらを踏み越え、)カラカラと笑っていた表情を、今も思いだします。

同僚と行った宿泊込みの親睦会で、大浴場に入りました。

「ハダカのつきあいは大事だよ~」と日常、よく口にしていたY先生。

大浴場に入ってすぐ、タオルを新体操のリボンのように降って、くるくると回って登場したのです。

先生の絵によく描かれているような、無駄な肉のない姿でした。

尊敬する師との出会いに感謝

教師として生まれたての頃、いや、まだ教師になれていなかった頃ともいえますが、Y先生に出会えて、本当に、ほんっとうに良かった。

自分が退職した今も、そう思います。

自分は、Y先生(また、その他の尊敬の念を持って接して先生方)に及ぶ教師になれたかな…。

とは思えないな。

部分的にはどうかな?と思う、今日この頃です。

 

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上記内容は仮名であり、内容を一部改変しています。