大関フジ大関フジ

中学校教師30年の経験から事例を紹介します。仕事熱心な教師の、心の整理の一助になればと…。このブログに徐々に掲載していきます。ご自身の悩みに似た事例があれば、参考にしていただければ幸いです(・。・;。

「過保護」。やってしまいがちなこと。

ナメられがちな先生

ここまでのいきさつ →  https://kokoronoseiribako.com/utinoko3dosite3-2-1/2/

私自身が生徒だった頃、最も敬愛する学校教師は、ざっくり言うと、授業上手だけどナメられがちな先生でした。でも、今も鮮やかに思いだせる先生です。
私は教員になってから、前述の教師タイプのうち、「厳しく、男性っぽく、(早口で)きっぱり決済で、朝から元気で、有能な先生」を、目指してきたように思います。
「生徒からナメられたらオワリ」そう思っていたのですね。

でも、自分が習った先生の中で最も尊敬する方は誰かとなれば、それは今でも、高校の地学の先生です。自分が目指した教師像と不一致ではありますが。

「過保護」。やってしまいがちなこと。

先生と合う合わないという言葉を耳にするたび、子供の出会いについて大人が設定しようとする様を見るたび、違和感をおぼえます。
いろいろな持ち味の先生との出会い、誰とどう出会うかは、その子に与えられた潮流であり、大人がセッティングすることではないと思います。(危険、被害の恐れありは別として!)

それは、「過保護」というワクに入ると思います。

出会いの多様性

 

 

 

 

N美の例でいけば、「お父さんがその評価間違った先生を正してあげる」と行動する前に、娘と向き合う時間を作った方が良かったと思われます。

大泣きした感情が落ち着くのを待ち、娘から噴出してくるであろう、美術の先生への不満を聞いてみる。娘の思いに共感を示しつつ、それが学校での出会いを今後の人生に生かせるよう、励ます流れになるかもしれない。定期テストの実際の点数を一緒に確認したり、先生への態度を振り返ることができたかもしれない。

それが、その子に与えられた潮流である「出会いの多様性」を生かすことにつながるのではと、思われます。

ニンゲンだから

将来、「学校」が不要になるという話がささやかれる昨今です。個別の学力に応じたコンピュータプログラムで学んだほうが、能率よく勉強できるとされる時代が来るでしょう。

でも、学校での様々な教員の持ち味、そして出会いは、必要なんじゃないかなぁ。人間同士じゃなきゃできないことがあるんじゃないかなぁ。人間だから不完全だったり、なんかやらかしたりするけど、それでも、ニンゲンがやった方がいいんじゃないかなぁ。

(つぶやきコミで、了)

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上記内容は仮名であり、内容を一部改変しています。