特徴が強すぎる人をも受け入れる社会でありたいもの。理想はそうでも、実際はなかなか…。その限界を感じさせずに人と交流していた優紀(ゆうき)。優紀は男児として出生しましたが女子として生きることを望みました。
ここまでのいきさつ → LGBTQ「痛みを抱えて生きる?」①(Eさんの持ち味 担任悪4③)
身体の一部を削ぎ落すということ
手術にビビる
外科手術。自分にも経験があります。
鼻腔内の「できもの」を切除するだけでしたが、「手術」という言葉には、正直、ビビりました(そんなちっさな規模であっても)。
世の中には大規模な手術で命をつなぐ例が、たくさんあります。
病気やケガを克服するために身をそぎ落とす、それは、やむを得ない事情ありの場合、腹をくくって臨むこと。
それとは違って、自分の意志で「不要」と決めたものをそぎ落とすのは、病気やケガとは全く別の覚悟があってのことだと思います。
「覚悟」という言葉一言でも包括しきれない、精神的な負荷、それを重ねた歴史があるのではと。
親からもらった身体に傷をつけるなんて
よく言われていることとして、「親からもらった身体に傷をつけるのは不道徳」という言葉があります。
整形手術は良くないと一刀両断する人も、少なくありません。
ただ、私は、慎重に検討すべきことではあるけれど、「あってはならぬこと」だとも思いません。
生まれ持った外見と共に生きることが、あまりにつらいことだった場合は、身体にメスを入れることも選択肢のひとつだと思っています。
事後の異常
とはいえ、ちょっとしたケガの傷口から菌などの侵入があり、重い症状や病に侵されることもある。
だから、傷というものを軽くみてはいけない…。
外科的処置については、後々まで影響することになりかねません。
私自身、30年前の手術で、手術器具の未消毒が疑われる、事後の異常がありました。
幸い、大事には至りませんでしたが。
己の意志で身体にメスを
ただ、世の中には、それら長期的リスクも考え併せてもなお、己の意志で身体にメスを入れる選択をせねばならないことは、あるかもしれない。
健全に生きるためには、その下支えになる安定した情緒を保つべき。
そのためには、各自が抱える苦悩を、本人が解決するしかない。
他者が知ったふりなど、できるはずがない。
他者にできることは、悩む本人に寄り添い、熟慮できる環境を整えてあげることしかない…。そう思います。
身体を削いで生まれ直す
睾丸切除手術の翌日、誕生日を迎えた優紀。
その記述から、「身体の一部を削って生まれ直した」、そういう思いも感じられました。
「生まれ直す」、そのイメージ自体には、明るい色を感じました。
でも、私の中にどうしても湧き上がった無力感はとても大きく、
キョーシだとか年長者だとか、そんなものが全く及ばない規模のものなのです。
以降、優紀のSNSは更新頻度が少なくなり、近況を知る機会が途絶えました。
そして1年後、久々に優紀の投稿を見ました。
そこには、これまで見たことがなかった優紀の表情があったのです。
続きをごらんください → (後日掲載)
上記内容は仮名であり、一部改変しています。